『頭は一つずつ配給されている』森崎東著

《この本の題名は森崎東の監督第一作「喜劇・女は度胸」(69)の中で渥美清がアドリブでしゃべった言葉だという。
「ほかに何一つ自信がなくても、頭は一つずつ配給されている、というナケナシの自信は、ほかに自信がなければないほど頼もしい実存的な自己認識となる」
森崎がデビューした69年、松竹では「男はつらいよ」シリーズが始まっている。「なつかしい風来坊」(66)や「吹けば飛ぶよな男だが」(68)など山田洋次監督の初期の傑作の脚本共作者で、「男はつらいよ」の誕生にも関係している森崎だが、その後の二人は作品世界の方向を異にする。
それぞれの作品の常連、倍賞千恵子と美津子姉妹が象徴するように(実際は山田が年下だが)まるで長男・次男の性格の違いみたいだ。
たとえば渥美清に「労働者諸君!」と言わせても、森崎の場合は、アナーキーな未組織労働者に対しての連帯エールに向かう。
社会のあらゆる規範や制度に反撥し、より下降して根源的な自由を求める姿勢は、森崎映画の一貫した魅力であり、この本にも共通する。
初出一覧によれば、すべて月間「公評」誌に掲載された文章は、代表作「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」が公開された85年から始まっている。
その長い題名そのものが〈森崎イズム〉だった。
20年近くたっても森崎イズムは健在。円熟といった言葉を拒絶し、激しさと純粋さを増して、まぶしいほどだ。
曰く「合理より不合理を!」「知識を増すものは憤激を増す」「連帯を求めずして自立をも恐れず」‥‥。
森崎イズムの浪漫であり、生き方への檄である。
特に冒頭の「映画にならなかったイエスの方舟」が、題材へのアプローチの仕方など創作への秘密が具体的にうかがえて面白い。是非とも見たかった。
個人的に思い出したのは、その企画に関わっていた松竹のプロデューサーSさんのことだ。企画が流れたころ、悔しさをゴールデン街で話してくれた彼は、2年前に54歳の若さでガンで亡くなった。
本書の中でも、割腹自殺した兄・湊をはじめ、志なかばで亡くなった友人やスタッフへの思いが語られている。
そうした追悼も胃袋に消化して「死んだらそれまでよ」の森崎イズムは、6年ぶりの新作「ニワトリはハダシだ」の映像で爆発しているはずだ。》 「キネマ旬報2004年10月下旬号」

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