第4回 第1学年 1棟31室(2)

最初の夜は、食堂で先輩たちに紹介された。テーブルには米飯の赤飯と、お頭付きの小さな焼き魚が置かれていたように思う。大食堂でいっせいに食事をするというのが、あっけにとられて、うまいもまずいもなかった。

入学当時の秋川高校正門

入学当時の秋川高校正門

「なんで俺はこんなところへ来たのだろう」と悔やむが、後の祭りだ。ただ校旗掲揚をした旗が、風に揺れるのを眺めるだけ。
私は、すぐにホームシックにかかった。1人きりになれる時間がないのが辛かった。同室の仲間とはうまくいっていたが、わがままは許されない。それが共同生活だ。
中学時代には学級委員などして多少なりともリーダーシップをとってきたつもりだった自分が、ここではもっと優秀な人物がいることを実感し、自信をなくしてしまったことにもよる。
私は1人になりたくて、夜の学習時間に寮棟の屋上に行った。遠くに五日市線が車窓の明かりを流して走って行く。拝島から先は立川、もっと先には新宿のわが家がある。ただひたすら帰りたかった、そして無性に哀しかった。すぐ前の2棟では2年生の先輩たちが勉強している。2棟から3棟まで移動するこれからの年月が、はるかかなたに思われた。
学校から生徒には『自由と規律―イギリスの学校生活―』池田潔著(岩波新書)が配られていた。
しかし当時の私にはむずかしく、読んでも頭には入らなかった。学校はこれを手本として教育したかったのだろうが、高遠なる理想と理念が先走りしすぎていたように感じる。 今改めて読めば「イギリス人の着実な気風は、幼少の時から運動競技を通じて養成される。『自分の役割を満足に務める』という句がよく使われるが、これこそ彼等の理想とする境地であろう。」「『如何なる』ではなく『如何に』仕事をするかが問題なのである。」といったくだりに感銘されるのであるが。
スポーツマンシップとは何かということを考える昨今ではある。あの頃もう少し教師と、このようなことを話し合える環境がほしかった。
冬はボイラー室からのスチーム暖房で「カン、カン」と音が鳴る。私の楽しみは、11時の消灯後ベッドで布団をかぶり、懐中電灯で本を読むことだった。
11月10日(火)の開校記念日に、1期生がメタセコイアをメインストリート沿いに定植した。高さ2mほどの、細い枝ぶりの木が立ち並んだ。それはまるで当時の自分を象徴しているかのように弱々しかった。

メインストリートにメタセコイアが並ぶ

メインストリートにメタセコイアが並ぶ