都立秋川高校 玉成寮のサムライたち

旧秋川高校についての著作を執筆した岩崎さん(左)と、同高校OBの鵜飼さん=文京区で

旧秋川高校についての著作を執筆した岩崎さん(左)と、同高校OBの鵜飼さん=文京区で

都立唯一の全寮制男子高校だった旧秋川高校(あきる野市)で、寮の責任者「舎監長」(教頭職)を務めた岩崎充益(みつます)さん(65)が、開校から閉校までの歩みを回顧した「都立秋川高校 玉成(ぎょくせい)寮のサムライたち」(パピルスあい)を出版した。校舎は取り壊され、敷地内にメタセコイアの並木だけが残る。卒業生たちは敷地所有者の都などへ保存を働き掛けており「出版で母校のことを広く知らせ、保存の一助にしたい」と期待する。 (小松田健一)

 出版元「パピルスあい」(文京区)取締役の鵜飼清さん(63)も卒業生。鵜飼さんは「集団生活で助け合いの心が身についた。メタセコイアの並木は母校が存在した唯一の証しで何としても残したい」と話す。

 旧秋川高校は多様な人材を輩出する英国のパブリック・スクールをモデルに、集団生活を通じて人格面を含めた教育をしようと、一九六五年に開校。しかし、寮を敬遠する傾向が強まるなどして生徒数が減り、二〇〇一年に閉校した。

 生徒が暮らし、本のタイトルにもなった「玉成寮」は「龍、玉を抱いて天に昇る」という中国の故事と学校所在地の多摩をかけ、地域で優れた人材を育てるとの思いが込められていた。岩崎さんは九七年に赴任し、敷地内の官舎で閉校まで四年間暮らした。「寮で問題が起きれば電話が鳴るので、二十四時間勤務のようなものだった」という。

 本は岩崎さん自身の体験に加え、関連資料や当事者への取材をもとに、教育方針、学校のシンボルとなったメタセコイアの植樹、閉校が決まった経緯など幅広く、具体的なエピソードとともに記している。

 閉校直前の二〇〇〇年八月には、三宅島噴火で全島民が避難した際、三宅小・中・高校の児童、生徒を受け入れた。岩崎さんは殺到したマスコミをさばくことに奔走し、教職員自ら突貫作業で女子用ふろや寝室を用意したことなどを紹介。「全国に学校の名前が報じられ、入学したいという問い合わせが結構あり、そのたびに『閉校が決まっています』と答えなければならなかった」と苦笑する。

 岩崎さんはその後、都立青山高校(渋谷区)の校長を最後に退職した。旧秋川高校の経験は貴重だったといい「集団生活で生徒の個がぶつかりあい、自我が形成された。いじめられっ子はたくましくなり、いじめっ子は他人を思いやることができるようになっていった」と、全寮制の効果を評価した。

 税別千七百円。問い合わせはパピルスあい=電03(6801)9766=へ。

「東京新聞」多摩版2015年2月19日 朝刊

 

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